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神戸家庭裁判所 昭和48年(家)3号 審判

申立人 松浦美貴子(仮名) 外二名

相手方 松浦一郎(仮名) 外三名

主文

被相続人(亡)松浦太郎の遺産を次のとおり分割する。

一  別紙目録記載の遺産はすべて申立人松浦美貴子の取得とする。

二  申立人松浦美貴子は相手方、松浦一郎、同松浦二郎、同今村治子ならびに申立人平田サト子、同大石好子に対し各金一八一万円宛を支払え。

三  被相続人の交通事故死による損害賠債請求権のうち被害者本人分はその三分の一を申立人松浦美貴子、九分の一宛をその余の当事者の各取得とする。

四  申立人松浦美貴子は同人を除くその余の当事者に対し別紙目録記載家屋の昭和四九年一二月以降この審判確定に至るまでの賃料収入から管理費用(理由中掲記)を控除した残額の一、五七三分の一三〇宛に相当する金員をそれぞれ支払え。

五  手続費用中鑑定費用は申立人美貴子の負担とし、その余は各自弁とする。

理由

申立人松浦美貴子、同平田サト子、同大石好子(いずれも昭和四九年家第一、三〇四号事件相手方、以下単に申立人と称する)ならびに相手方松浦一郎(同事件申立人、以下単に相手方と称する)はいずれも被相続人(亡)松浦太郎の遺産の分割を求めた。

家庭裁判所調査官梶房義雄の調査報告書中、申立人松浦美責子、同松浦改め大石好子、相手方松浦一郎、同松浦二郎ならびに参考人松浦ふみの供述記載、家庭裁判所調査官石坂文子の調査報告書中相手方松浦一郎、同松浦三郎、申立人平田サト子の各供述記載、登記謄本、戸籍謄本の記載、○○信用組合、○○銀行○○支店、○○信用金庫、日本専売公社神戸営業所長、灘郵便局長の各回答書ならびに相手方本人松浦二郎の審問結果を綜合すると次の事実が認められる。

一  被相続人と相続人ならびに遺産形成の経過

被相続人松補太郎(明治四三年三月生)は本件の遺産である別紙目録記載の家屋でたばこ、郵便切手類、新聞雑誌日用品等の販売を業としていたが、昭和四七年九月二五日神戸市内において、市営バスにひかれて死亡した。

相続人は、配偶者である申立人美貴子(大正一一年七月生)と同人との間の長女である申立人サト子(昭和二三年七月生)二女の申立人好子(同二六年一一月生)先妻桂子との間の長男である相手方一郎(昭和一一年四月生)長女相手方治子(同一二年一一月生)二男相手方二郎(同一五年四月生)三男相手方三郎(同一七年一〇月生)の七名である。

被相続人は、昭和七年父三津雄(製箱業)の死亡により家督を相続し、義母美智と相談して亡父の遺産により、昭和八年頃本件の物件所在地に平家建古家(土地は借地)を買つて二階に改造し、場所が国鉄六甲道駅に近接するところから、美智の協力のもとにパン等食料品と喫茶の店を営むとともにたばこ小売を始め、戦時中は○○バスに勤めた。昭和一一年四月先妻桂子と婚姻し、相手方ら四名をもうけたが、昭和一八年応召し、家族も但馬の八鹿町や岡山県下に疎開することになつたため、被相続人が中国から復員するまで店を閉じた。被相続人は昭和二一年に復員したが間もなく妻桂子と離婚し、○○バス当時の知合いであつた申立人美貴子と同年一二月に夫婦になつた(昭和二三年七月婚姻届出)そして再びたばこと郵便切手類販売の許可を受けるとともに新聞雑誌日用品等の小売を再開し、後に公衆用赤電話をも受託するようにした。住居一階の一部を店舗に当て、他部分を診療所、運送店、薬局等に賃貸し、二階は住宅にした。しかし、戦後の混乱した社会情勢のもと、家族の生活と子女の教育に追われ、昭和二〇年代、三〇年代はほとんど生活に余裕を生じるいとまがなかつた。昭和三九年一〇月にようやく老朽した家屋を軽量鉄骨造陸屋根二階建店舗兼居宅兼共同住宅に建替え、一階のうち自家営業部分を除き四店舗、二階は二室を家族用にして他三室を他人に賃貸し、売上手数料と賃料とで収入をはかつた。上記改築に要する費用約五〇〇万円のうち三〇〇万円は被相続人の義妹田中広子(薬局経営)から借用し、二〇〇万円は家屋担保でたばこ信用組合から借りた。田中広子借受分は昭和四六年頃までに返済し、信用組合借受分は昭和四三年一〇月○○信用金庫から借替え、相続開始当時の残債務九五万円であつた。

義母松浦美智は開店以来店を手伝つていたが、昭和二九年長女広子方に出て行き生計を別にするようになつた(同人は利害関係人として分割に参加したい旨述べているが、法律上の具体的請求権を有するとは認められず、審判の当事者とはしなかつた)。

相手方松浦一郎は○○工業高校を卒業したが約一年半受験勉強をした後昭和二三年上京して○○大学工学部電気科に入学し、住込みで働いて学資の不足を補いながら大学在籍八年のすえ中退した。東京で世帯を持ち、妻ミユキとの間に一男一女をもうけ、妻の兄の経営していた菓子店を買取り月収一五万ないし二〇万円を得ている。

相手方今村治子は昭和三一年○○女子高校を卒業し、歯科医院、商店等に勤務したが、昭和三六年今村義信と婚姻して家を去り、同人との間に一男一女がある。

相手方松浦二郎は、昭和三四年○○高校を卒業し、一時は上京して進学を志したが、昭和三七年頃から約三年間大阪市内で印刷所等に勤めた後帰神し、タクシー運転手を職として現在まで独身のまま本件家屋二階の一室を居室としている。

相手方松浦三郎は、昭和三八年に高校を卒業した後昭和四二年に上京し、現在は○○○○○○航空会社に勤め、昭和四三年七月婚姻して妻耐子との間に二子がある。現在目黒区に居住しているが、成田市内に土地約四〇坪を所有する。

申立人平田サト子は○○○短大卒後○○○ビールに約一年勤めたうえ昭和四五年会社員平田行和と婚婚して上京し、現在は横浜市内に居住し、同人との間に女児一人がある。

申立人大石好子は○○○短大卒後会社に勤めたが昭和四八年会社員大石英明と婚姻して家を去り、現在芦屋市内に居住している。

申立人松浦美貴子は被相続人と婚姻以来主婦として家事に従事するかたわら、被相続人と協力して営業を手伝い、業務の性質上店頭小売については被相続入以上にその商務に当つた。相続開始後引続き遺産家屋に居住し、自己名義で新たにたばこ小売の許可を得て同業務を継続するほか他の販売業務や貸室業務を継続して現在に至つている。自己名義の財産として格別のものはない。

二  遺産

遺産は別紙目録記載のとおりであり、不動産は家屋(借地権つき)だけで、その相続開始当時の評価額は鑑定人南隆義の鑑定によれば一、五八二万七、〇〇〇円(イ)であり、昭和四八年八月三一日鑑定時における価額は一、九〇〇万円である。家屋以外の預貯金等積極財産は合計一六五万八、一九九円(ロ)あるが債務合計一七五万五、五三八円(ハ)あるから、相続開始当時の遺産の差引合計価額(イ+ロ-ハ)は一、五七三万円(一万円未満五捨六入)である。申立人は手もと現金三、八五〇円のほかに香典、保険金残金三一万八、七五七円を計上しているが、香典は通常喪主もしくは葬儀費負担者に、保険金は保険契約による受取人が受領すべきであり、遺産そのものではないから審判の対象とはしない。また申立人は、負債の中に借家人山田某ほか五名からの敷金合計一八八万円をあげているが、預り金と見てよいから遺産に計上しないのが相当である。

相手方らはたばこ小売等の営業権を独立して評価すべき旨主張するが、本件のごとき営業の場合は、場所的利益として建物評価の中に付加価値的に含まれており、かつ、それをもつて足ると認められるから、独立して評価する必要はない。

別紙目録記載の遺産のほかに、被相続人の交通事故死による損害賠償債権の被害者取得分があるが、交渉中で金額は未定である。

なお、本件家屋の所在する○○町一円は昭和四四年三月二八日付建設省告示第七六六号により六甲地区改造地区改造事業として都市計画事業決定済であるが、その後の手続は保留のままであり、着手の見通しは不明である。

(当裁判所の判断)

一  相続分と寄与分

申立人らの法定相続分は、申立人美貴子が三分の一、他の申立人、相手方らがそれぞれ九分の一宛である。被相続人から生計の資本として生前贈与その他の特別の利益を受けたと認められるものはいない。相手方一郎は、申立人サト子、同好子がいずれも短大の学資を得たのは、相手方らと差別したものであつて、同人らの特別受益になると主張するが、昭和四二年頃以降の被相続人の経済状態からすれば通常の扶養の範囲内と認めてよく、生計の資本としての特別受益と見る必要はない。また、相手方三郎は申立人サト子の特別受益として相当額の株式買入資金の贈与があつたように述べているが、これを認めるべき資料がない。

次に申立人美貴子は、法定相続分のほかに遺産の維持形成について被相続人に協力し、三〇パーセント相当の寄与分を有する旨主張するのでその点を検討する。配偶者に限らず相続人の相続分は法定されている遺言による場合を除きこれを変更できないと解すべきであるから、共同相続人中遺産の維持形成について顕著な協力寄与をなし、その程度が身分関係に基く通常の協力の程度を越えるときは法定相続分とは別に、その程度に応じ、寄与の結果が遺産中に潜在するものとして、遺産の分割に際し、その清算を求めうるものと解するのが、公平の観念にかない、かつ、特別受益の持戻や離婚時の財産分与における協力財産の清算を定めた民法の趣旨に添うゆえんである。本件において、上記認定にかかる申立人美貴子の協力は、配偶者としての通常の家事労働とは別に、明かに被相続人の営業に参加し、これと協力して遺産の維持増加に貢献したものであり、これまでそれに対応する格別の利益を取得した事実もないのであるから、その寄与に相当するものを評価し、これを相続債権に準じて清算するのが相当であるから、申立人美貴子の主張は理由がある。相手方らは、被相続人が本件不動産を所有し、商業の基礎を築くに至つたのは松浦美智やその長女広子など松浦家の人々によつたものであり、相手方一郎ら同胞もそのため学資その他十分な扶養を受け得なかつたと言えるから、申立人美貴子の特別の貢献度などは考慮するに足らないと主張する。松浦美智や長女広子の上記のような協力があつたことは否定できないが、本件では遺産に対する寄与を共同相続人の間で査定しようとするものであるから、そのような沿革があるとしても、申立人美貴子の寄与を認定する妨げとなるものではない。

よつて、寄与分の程度について考える。相続開始当時の昭和四七年度における全産業全女子労働者平均給与額(労働大臣官房統計情報部賃金統計課「賃金構造基本統計調査報告」)によると五〇ないし五九歳該当者の月間平均きまつて支給される現金給与額は四万八、五〇〇円、同じく年間平均賞与その他特別給与額は一二万二、八〇〇円であるから、年間給与の平均額は約七〇万円(一万円未満五捨六入)であり、申立人美貴子の協力期間は二三年であるから、その給与相当額は約一、六一〇万円であるところ、その約二分の一は生活費(食費三〇他二〇パーセント)としてすでに満足を得ているものと認めるし、また配偶者の法定相続分は家事労働とその他通常の協力を前提としたものであるから、被相続人が長く病臥していた等特別事情のない本件では申立人美貴子の営業への協力分はさらにその二分の一を控除した額すなわち約四〇〇万円をもつて遺産に対する同人の寄与分と認めるのが相当である。上記年間給与の額は過去に遡るほど金額的には少額になるけれども本件では遺産中に潜在する利益の清算を目的とするものであるから、遺産の評価と同時点における給与の額と等価によるのを相当と考える。また昭和三〇年代までの前半は経済的余裕がなかつたこと前記認定のとおりであるけれども、寄与分は遺産の維持への貢献度をも含むから矛盾するものでない。ただ、申立人美貴子は、自己の寄与分を遺産額の三〇パーセントと主張し、この額は相続開始当時の遺産総額一、五七三万円に対して四七二万円になるわけであるが、過大である。なお、申立人美貴子以外の他の者については、被相続人と同居中多少の手伝いをしたとしても、それをもつて清算に値する寄与分と認めるに足るような資料は存在しない。

二  各自の取得額

相続開始当時における遺産総額は一、五七三万円であるところ、このうち上記寄与分四〇〇万円を除外した額の三分の一にあたる三九一万円が申立人美貴子の法定相続分であるから、これに寄与分四〇〇万円を加えた七九一万円が同人の取得分であり、他の相続人の取得分は残余額の六分の一すなわち一三〇万円宛(一万円未満五捨六入)である。そして、本件遺産家屋の昭和四八年八月三一日鑑定時の価額は上記のとおり借地権を含み一、九〇〇万円(現在価額も同額と認める)であり、その他との合計額は二、〇六六万円(一万円未満五捨六入)である。よつて申立人のこれに対する取得割合は二、〇六六万円の一、五七三分の七九一すなわち一、〇三九万円(一万円未満五捨六入)であり、他の相続人はこれを控除した額の六分の一すなわち一七一万円宛である。

三  遺産の分割

申立人美貴子の上記取得割合と配偶者たる地位、従前の実績と今後の生活、他の相続人はそれぞれ一応の生活手段を持つていること等を考慮すると、本件家屋は申立人美貴子の取得とし、他の相続人には上記相続分の割合による金員を同人から支払わせて分割するのが相当である。申立人美貴子には現在格別の自己資産を所有しないけれども、後記損害賠償債権の取得や本件家屋担保による金融可能性を考えれば、支払能力がないことはない。別紙目録記載の債権債務は、家屋並びに営業に関して生じたものであり、かつ、その額はすでに上記遺産総額の計算に織込みずみであるから、すべて申立人美貴子が承継してその情算に当ればよい。

相手方一郎や同二郎らも家屋の全部もしくは一部の現物取得を望むけれども、共有については申立人美貴子らにおいて反対し、今後の管理上も紛争が予想せられるし、また区分所有も家屋の構造と賃貸の関係並びに経済効用の上から不適当と認められる本件ではその主張をいれ難い。もつとも家屋を申立人美貴子の単独所有としても、被相続人の生前から二階に居住している相手方二郎は同家屋に居住するにつき正当な事由があるから、同人が引続き居住することを妨げるものでない。申立人美貴子は、従前から同人との仲が円満を欠き、相続開始後は営業再開をめぐり、同人から店舗の一部を破損せられる等の紛争を生じ、今後の同居は不安であるとして同人に対し本件家屋からの退去を求めるけれども、上記理由から審判の付随処分として退去を命じるのは相当でなく、別途に解決すべき問題である。一方、申立人サト子、同好子においても家屋の共有を望んでいるが、同人らは現に居住していないし、相手方らとの均衡上も金銭分割が相当である。

次に、相続開始後から昭和四九年一一月末日に至る賃料収入の合計額は、申立人美貴子からの昭和五〇年一月一三日付提出の報告書添付明細表によれば二一四万六、二六〇円であるが、同期間中の税金、地代、火災保険料、浄化槽清掃費等管理費用の合計が八九万九、一五四円であり、差引一二四万七、一〇六円になるから、これを前同様の割合で按分した額すなわちその一、五七三分の七九一にあたる六二万七、一二一円(一円未満五捨六入)は申立人美貴子に、またこれを控除した残余額の六分の一(一、五七三分の一三〇)に相当する一〇万三、三三一円宛(同上)は他の相続人に分配すべきであるから、これを受領した申立人美貴子は各人に対し上記相続分一七一万円との合計額一人一万円宛(一万円未満四捨五入)を支払わなければならない。昭和五〇年一月以降審判確定までの賃料収入についても、管理に要した費用を控除した残額につき同様の割合で分配すべきである。同明細書中借入元利金返済分はすでに遺産総額の評価において消極財産中に計上して相続分を計算し、その結果本件家屋を申立人美貴子の取得としたものであるから、同人において負担しなければならない。また、同人の生活費をも計上しているけれども共益費ではないから同人が支出すべきである。

家賃収入以外にたばこ営業等による収入があるけれども、これは申立人美貴子の新たな営業行為によるものであつて遺産には属しないから、相続開始後の収支はいつさい同人に帰属すべきものである。相手方一郎、同二郎は申立人美貴子が同人らの承諾がないのに承諾があつたかのような届出書類を作成して不正にたばこ営業の指定を受けたと述べているけれども、相手方二郎を除けばその余の相続人は当時同意し、もしくは明かに反対していなかつたのみならず、申立人美貴子の従前の実績と配偶者たる身分を考慮すれば、同人が営業を継続することは当然の成行きであつて、ことにたばこ小売人が死亡した場合相続人がその営業所で小売人になろうとするときは三〇日以内に届出ることになつているのであるから、その指定を受けるに当り、手続上共同相続人たちの同意を求められる場合には、遺産分割の紛争は紛争として、他の者も遅滞なくこれに応じることが信義にも叶うところであることを考えれば、相手方二郎らにつき申立人美貴子において便宜記名押印した書類を提出したとしても、結果的にはこれを非難するには当らず、またその事実があるからとて、申立人美貴子の営業継続ひいては遺産分割の方法について上記と異なる判断をしなければならないことはない。

最後に、上述の遺産とは別に被相続人の交通事故死により生じた加害者に対する損害賠償債権のうち被害者本人分はその性質上前記寄与分とは関係がないから法定相続分のとおり申立人美貴子が三分の一、他の者が九分の一宛の割合で取得して行使すべきである。

手続費用中鑑定費用は家屋を取得することになつた申立人美貴子の負担とするのを相当と認めるし、その余は各自弁とするのが相当である。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 坂東治)

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